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故大山倍達総裁・極真会館と三峯神社

三峯神社は、埼玉県秩父市三峰にあります。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)の二神を主祭神とし、造化三神と天照大神(あまてらすおおみかみ)を配祀しています。この神社がある三峰山では、国際空手道連盟極真会館創始者である故大山倍達総裁が山篭りの修行を行っていたこと、年明けには極真会館総本部の冬季合宿が毎年敢行されていることなどは、多くの方がご存知のことと思います。

第12代景行天皇から命を受けた第2皇子、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際、碓氷峠に向かう途中で三峰山へ登り、その山川が清く美しい様子に感銘を受け、伊弉諾尊と伊弉册尊による国造りを偲んで宮を造営。その後、景行天皇東国巡行の折、妙法(妙法ヶ岳)・白岩(白岩山)・雲採(雲取山)が美しく連なることから、「三峯宮」の社号を授けたと伝えられています(妙法ヶ岳には、三峯神社奥宮があります)。
また、伊豆国に流罪となった修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ)が三峰山で修行をし、弘法大師空海が勅命により十一面観音像を安置したと縁起に伝えられるのをはじめとして、中世以降、日光系の修験道場として、東国(関東)武将を中心に崇敬を受けるようになったとされています。新田義興・義宗らが足利氏討伐に失敗したときに三峰山に身を潜めたため、社領を奪われ一時衰退した時期もあったようですが、文亀年間(1501年 - 1504年)には修験者月観道満により27年という歳月をかけて堂舎が再興されて以降、聖護院派天台修験の関東総本山として隆盛するなど、古くから修行の場として崇められてきました。今日の呼び名である「三峯神社」となるのは、明治の神仏分離令(神仏判然令)により寺院を廃して神のみを祀るようになってからであるということです。

大山総裁が、剣豪宮本武蔵を特に尊敬されていたことは、極真会館に興味を持つ人であれば知らない人はいないくらい周知のことでしょう。長編小説「宮本武蔵」を著した吉川英治先生が極真会館道場訓を監修されていることからも、その心酔の度合いが容易に想像できます。1950年代中頃、総裁は宮本武蔵ゆかりの地を歩いて巡ってみたいと強く思っていたそうです。あるとき、知人から「武蔵の修行した場所が東京近郊にある」と聞き、三峰山を訪れたのが、総裁と三峯神社を結びつけたきっかけであったとのことです。宮本武蔵は、この神社で奉納される神楽太鼓の見事なばち捌きから二刀流を開眼したともいわれています。
故大山倍達総裁碑以来、度重なる山篭りや合宿が、この三峰山で行われるようになりました。1989年には神社から感謝状を贈られ、1994年4月26日に肺癌で急逝(享年70歳)する前の1月にも極真会館総本部冬季合宿指導のため、同地を訪れています。
三峯神社おいては総裁の命日にあたる毎年4月26日、亡き総裁を偲ぶ慰霊祭が国際空手道連盟極真会館公式行事としてしめやかに執り行われ、境内にそびえる日本武尊銅像の近くには、大山倍達之顕影碑も建てられています。



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